戦後の日本での水辺の環境は二つの大きな打撃を受けました。まず、一つ目は1970年代までの時期に顕著であった水質汚濁です。この時期には国土、産業の開発、とくに都市開発がめざましく進み、河川と湖沼の水質汚濁が著しく進みました。
身近な水辺が足をいれることのできない泥川に変ってしまったり、異臭を放つゴミ捨て場と化したり、ホタルが飛ばなくなり、水辺に集う人がいなくなりました。
故奈良女子大学理学部津田松苗教授を中心にした研究グループでは、水質の状態を測る方法として生物学的水質調査法を手がけていました。河川に生息する生物はそれぞれ汚濁に耐える能力(耐汚濁性)が異なっているため、汚濁の進行状況によって、数が増加したり、減少したりします。生物学的水質調査法は、調査と研究から各種の耐汚濁性をまとめ、河川の汚濁の程度を把握するものです。
社団法人 淡水生物研究所〈現 一般社団法人)は、昭和51年7月15日に故津田松苗教授の研究グループを母体に、建設省の認可を得、地方公共団体及び民間各界のご協力のもとに設立されました。そして、日本各地で河川の水質汚濁の進行が著しかった1980年代までは、生物学的水質調査法を中心にした生物から水環境の状態を見極める手法でわが国の河川、瑚、ダム瑚の調査と研究を進めてきました。
1970年代には、生物学的水質調査法を基に、一般の人が参加できる「生物モニタリング」を開発し、日本各地の河川や湖沼で水辺の環境を地域の人たちと調査し、身近な水辺に対する意識を高めるお手伝いをしてきました。その後、水質の改善を第一目標にした施策が進み、下水道が完備し、水質の状態が良好になってきました。
しかし、水質が良好なだけでは、水環境は健康でないことが引き続き続けられている生物調査、研究によって明らかになってきました。これが戦後の日本の水辺の環境が受けた二つ目の打撃と言って良いでしょう。「水環境の健康」とは、水質以外にも、流況(水の流れ方)、すみ場所としての生息場の物理的形状、えさや隠れ場所を供給する河川周囲の環境(水辺林、河畔林)が良好な状態であることが必要だからです。生物はこういった水質以外の環境の状態についても指標してくれます。
生物調査を続けることによって、環境の変化をいち早くとらえ、早急な手はずを整えることが可能になります。ダムの下流域ではどんな放水をすればよいか、流域開発の際、確保すべき水辺林、河畔林を見極めるなど、生物相に与える影響を最小限にするため、提言することもできます。
一般社団法人 淡水生物研究所は、このように日本の河川、湖沼、ダム湖の実情に鑑み、指標生物による生物調査と研究をさらに進め、引き続き環境アセスメントの分野にも貢献し、公共の福祉の向上に寄与していきたいと願っています。